サト車歴

リードSS中学卒業して働き始め、職場から原付免許取得しろと言われましたが、事もあろうか、簡単な原付試験を二回も不合格をくらってしまい、三度目でやっと合格しました。当然のように免許取得前にバイク購入とゆう反則(笑)。購入理由は当時発売されていたスクーターの中ではビックサイズだったのと、フロントディスクブレーキ、装備等、所有感があるのが気に入りました。我慢できず普通の顔して、二ヶ月ほど無免で乗り回していた8月のララバイby吉川。

YSR50:免許取ってからモトチャンプなど読みあさってました。時はミニバイクレース真っ盛り。スズキからGAGが出た時はホントビックリしました。「こんなバイクが発売されいいのか!」と喜んだものです。そしたら今度はヤマハからYSR50発売との事。ギヤ付のバイクに乗りたかったのと「気分はエディ・ローソン」とゆうモトチャンプのコピーにやられたのと、地元で誰も乗ってなかったのが購入理由です。でも、納車直後にNSR50発売の記事を読んでガックリとなったのは言うまでもありません。ですが時速30キロでハングオン気取りが出来るし、リミッターカットで80km、デイトナの1万円チャンバー付けたら100km位出てシャレにならないくらい楽しい原付でした。ま〜NSR50のリミッターカットだけで110km出した高橋桃子にはかないませんが・・(爆)。

Hi-R:スクーターレースに出ようと思い、当時のバイク仲間の勧めで購入しました。一番車重が軽かったのと馬力もあったのでまさに「R」の名にふさわしいバイクでした。リードSSからの乗り換えでしたので、車体の軽さと細さに最初は惑いましたが、徐々に慣れてきました。そして、意気込んでレース参戦しましたら・・DJ1RRの登場で勢力図ががらりと変わってました。同じHi-Rに乗るライダーからは「RRは反則だよな、速過ぎてHiじゃかなわないよ」と言ってました。おいおいHi-R買ったばっかりなんスけど・・(爆)。で結局レースはケツから2番目とゆうリザルト。なんか空しいレース参加となりました。この後レース参加してもノーマルクラスではたいした成績も出ず(ビリとか転倒とか)でレースからは遠のいてしまいました。この後、通勤スペシャルとして暫くこのHi-Rに乗ってました。

CBR400Rエアロ車の免許が取れる年齢になり、普通免許取得と同時に中型二輪(普通二輪)も取りました。新車の購入等で単車を買うお金も無く、バイクといえばHi-Rに乗っていましたし、当時、単車に乗るとは思わずに過ごしていました。ですがその新車を事故で潰してしまい(!)、半年ほど車無しの生活をしていました。その後、転職をするため北上市(現在在住)へ生活を移すことになり、足が無いとゆうことで頭の中では、なぜか「車」より「バイク」の購入を決めていました。盛岡のレッドバロンに行き、以前ワイドショーで清水國明が乗っていてカッコよかったCBR400エアロ(中古)を発見、値段も予算内でしたので購入を決めました。赤/白と、白/青の二台がありましたが、迷わず白/青に決定!。冬の間、冬眠時は部屋に保管するとゆう荒技!(パチパチ誌の付録「TMNのポスター」が時代を感じさせます)。伝説のバイク漫画「キリン」にこのCBRが登場したときは感動しました(笑)。はじめての単車とゆうことでいろんな事を教えてくれたし、いろんな場所へ連れていってくれました。思い出がありすぎて書ききれないくらいです。雨の日も風の日も毎日の通勤や帰省に走り回ってくれました。車検が切れるまでの二年間でしたが本当によい付き合いでした。なにより一番苦しい時代にツーリングとゆう楽しみを与えてくれて自分を助けてくれたバイクです。ほんの浮気心で手放したのを、今でも深く後悔しています。

XLR250BAJACBRでバイクの楽しさに再度目覚めてしまった私。今度は林道も走りたいな〜と思っていた矢先、CBRの整備でお邪魔した北上ホンダさんで格安の車両を見つけ、財布が厳しいにも関わらず買ってしまいました。このバイクで地元の山の中をトコトコ走り回りまして、林道がこんなに気持よいものかと感動しました。ですがこの車両、走りは良いのですが、始動性が悪くエンジンかかるまですごく難儀しました。

○○○о○250:秋田の某バイク屋さんにヨシムラサイクロン付でありまして、「CBR下取りなら五万でいいや」と。CBRが車検時期でもあり、250にも魅かれていたのですぐ「買います!」・・これが間違いでした。このバイク乗ってすぐにパワー無い、トルク無い、マフラー爆音、まったく走らないバイクでホントにサイテーでした。頭に来て二回乗ってバイク屋に返却しましたが、CBRがすでに人手に渡っていて返してもらえず、ショックでかなり泣きました。・・・そして「禁断の果実」に手を出します。

92’NSR250RSE:そのバイク屋に「88’NSR」を探すように頼みましたが、目の前に来たのは「92’NSRSE」。店主に「頼んだのと違う」とごねましたら、「綺麗なNSR用意したんだから黙ってそれに乗れ!」と逆ギレ。予算も完全にオーバー。でも買わないと明日からの足が無いし、こちらも困るので、CBRの一件もありこの店と縁を断ち切る意味で渋々買いました。NSR自体は問題なく、乾式クラッチの音が新鮮で噂どうりの「禁断の果実」、最速バイクでした。NSRでは、書けないほどいろいろ無茶をしましたが、今思うと無事にこうして生きていられてよかったです(笑)。こんなバイクはもうこの先出て来ないでしょうね・・。
北上JGで「大型二輪指定前教習」の事前審査に、大雨の中NSRで走りに行ったのがいい思い出です。

CB750F現在の愛車です。地獄の指定前教習を無事クリアーし限定解除してから、バイク探しに盛岡のバイク屋さんを物色しました。当時、指定前の合格者が大量に出たために大型バイクの中古車が在庫切れとゆう現象が起きてましてバイクをあまり選べず、唯一狙っていたCBR750エアロも寸前のところで売約済みとなり、落ち込んでいたところにこのCB−Fを見つけました。「もうこれしかなかった」というのが購入理由です。しかしこのCB−Fじゃないバイクに乗っていたら今の私はなかったと思うくらい重要なバイクとなりました。あちこちガタが来てますがこれからも大事に乗って行きたいと思います。

SRX250:SUGOのノーマルシングルクラスとゆうカテゴリーのレースに参加をする予定で購入しました。MFJライセンスがまだなかったので、とりあえず福島で行われた草レースに参加しましたが・・。ここでかなり怖い思いをしたお陰で、その後なぜがジムカーナ車に転身(笑)。ジムカーナではSRXの素性の良さが爆発して初参加ながら表彰台をゲットすることができました。パワーはありませんが扱いやすく維持費も安いのが魅力です。ジムカーナ、サーキットでは単気筒ならではのコーナーリングで大活躍してくれました。

TLR200私、一本橋が大の苦手(笑)。低速バランスがまったくダメですので、苦手克服の為と、大型二輪取得してから参加している「二輪車安全運転大会」のトレーニングの為に知人より激安で購入しました。トライアル競技は以前より興味がありましたが、まさかこんなに体力を使う競技とは知りませんでした(汗)。自分が乗り始めて勉強になったのは、加重をかけタイヤの接地面を増やしてグリップを上げたり、サスペンションの使い方、それに合わせた上体の使い方など、目から鱗が落ちっぱなし(笑)このバイクで得た事が課題走行に限らず、ジムカーナや、CB−Fの乗り方にまで影響するほどでした。TLRは最近になって、知人に売ってしまいましたが、機会があればまた手に入れたいバイクです。、

91’TZR250R(ジムカーナ専用):「ウチにV型のTZRあるんだけど、エンジン掛かるかやってみてくれ」と会社の先輩に依頼され引き取りに行った10年前。庭の雑草に絡まれ、雨ざらしの腐った3年物の不動車がそこにありました。キックが出来るので、小整備でエンジンに火が入るかと軽く思いましたが、作業の前にイグニッションが悪戯で破壊されており(これが原因で不動車になったらしい)、まずはこれを解決しなければいけません。先輩が持っていた同年代のFZR400RRのイグニッションを配線加工して取り付け、SRX250のバッテリーを繋ぎキーをオンにしましたらメーター周りの電飾が数年ぶりに点灯しました!。こうなると盛り上がります(笑)腐ったガソリンを抜き、キャブを開けて軽くクリーナー洗浄。プラグも交換して試しにキックしてみたら片肺気味ながらエンジンに火が入りました!チョー嬉しくて先輩にドックファイトチャンバーの排気音を電話で聞かせたくらいです(爆)。エンジン掛かりましたので依頼完了。先輩にTZRを返却しようとしましたが「お前が持って行った時点で、あげたも同然だから返さなくていいよ」とのこと。ちょっと後悔がみえる?ような先輩の言葉でしたが、先輩もまさかエンジン掛かるなんて思わず「庭が広くなって良かった」くらいな感じで?私にTZRを預けてしまったようです(笑)。先輩の言葉に甘えTZRを貰い受けることにしましたが、錆びだらけのバイクに変わりはなく、まともに走らせるには相当な手間とお金がかかりそう。そして、書類がないため公道を走れないのが致命傷です。ガレージの肥やしになりながら、暇を見つけては整備と錆取りを重ねる日々。特に、倒立フォークのインナーチューブの錆取りには本当に苦労しました(汗)。とりあえず「レプリカ」としてのレストアを目指しますが、当時「ヤフオク」とかネットで部品調達なんて珍しい時代。BG誌を毎月買って外装とか足らない部品を探しますが、なかなかお目にかかれない状態でした。もう一つ悩ませたのが、このTZRを「何に使うか」。公道は走れないし、レーサーにしようものならもっとお金が掛かりそう(汗)。ボロボロでしたがなんとか走れる状態になるまで一年かかりました。近くのスキー場の駐車場や教習所などに持って行き、たまにテスト走行・・・そんな時に始めた二輪ジムカーナ。東北シリーズでの上位陣のとんでもない走りを目にしてしまい、その車両のほとんどが殻剥きされたNSR勢。ウチにあるTZRをアップハンして走らせるイメージがすぐに浮かび「ひょっとしたらTZRが使えるかも?」とここで使用目的が決定(笑)。アップハンにする際、「3XVオーナーズクラブ」所属のジム仲間からのアドバイスや部品供給があり本当に助かりました。トップブリッジは「UPS-TAKU」から調達。当時、知り合ったばかりのRSTさんの製作により、TZRは「ジムカーナ専用車両」として見事復活!。SRX250から乗り換え、2002年の東北シリーズからTZRで参加。安定してクラス入賞できるようになりましたが、表彰台の一歩手前という悔しいリザルトが二年続きました。リヤサスをSPの物に交換した04年は第二戦で悲願のクラス優勝!その後、更なるセッティングを繰り返して最終戦でも優勝!。この年は二勝することができて最高のシーズンでした。05年はフロントサス調整、ブレーキ強化、ホイールベース短縮化を実施。シリーズには二戦しか参加できませんでしたが、どちらもクラス二位を獲得。草むらで腐り掛けの不動車となっていたTZRが、ここまで「速いバイク」になるとは思いませんでした。06年以降、自分の都合で東北シリーズには参加できていません。TZRを思い切り走らせることができない状況ですが、今は「動態保管」でガレージに眠っています。でも、あちこち劣化してきて要整備が必要です。今後の目標は、書類付きのフレームを手に入れTZRを整備し直して、もう一度ジムカーナ大会に出場することです。このTZRを「一速全開」で走らせる楽しさは、いままで乗ってきたどのバイクの楽しさをも遥かに凌駕しています。このTZRだけは手放せません!。

NSR250R:(ジムカーナ専用):宮城のジムカーナ仲間から格安で購入。TZRでジムカーナを戦ってた訳ですが、前に立ちふさがるのは必ずNSR。その速さを研究したかったのと、NSRとTZRの乗り味の違いなどを探るのに興味のある車両でした。エンジン、足回りなどとても安定したバイクだったと思います。不動車上がりのTZRとは比較対照にならないくらい(汗)。で、このNSRで活躍したかったのですが、自分の環境が整わず、走る機会に恵まれず「宝の持ち腐れ」状態に(大汗)。そして走る機会が巡ったときに限ってエンジン不調(電気系)に陥り、結局まともに走った記憶がありません。原因を追究して直した時にはもう乗る気になれず、エンジン絶好調の状態で活躍しているジム仲間に売ってしまいました(汗)。今思うと、私にはとてももったいないバイクでありました。

カブ カスタム50:ガソリン高騰のアオリを受けて(?)北上ホンダで格安購入。このカスタム購入後、ガソリンの値段が跳ね上がり家計が大助かりしたのは言うまでもありません。いまも通勤に私用にツーリングに大活躍しております。ジムカーナでも走ってもらい、釜石ジムカーナでは総合9位というリザルトを残すことができました。ミニバイク耐久では危なげなく3時間走りきり、耐久レースの面白さを味あわせてくれました。「四速セル付」のカブがこれほど楽しい乗り物とは思わず、原付50ccの新たな楽しみを教えてもらった感じがします。「排気量アップしないの?」とよく聞かれますが、50cc四速でも十分速いし、不便に感じていないので(笑)それにこれ以上速くなると免許が心配です(爆)。これからも「足」として大活躍してもらいます!。

ディオ ZX:安全運転大会に参加する高校生クラスの指導用車両と二輪ジムカーナ練習会のときに使うマーシャルバイクと言う「こじ付け」で衝動買い(爆)。Hi-R以来のスクーターでしたので、どう乗ったらいい分らず最初のうちは近所の足として法定速度で乗っていました。狙い通り教習所で行われた二輪講習会ではマーシャルバイクとして活躍し、ジムカーナ練習会では「同じバイクに乗ったら誰が速いんだ選手権」の車両として活躍してくれました(笑)。一度エンジンが焼き付いた症状が見られたのですが(?)その後も走り続けてました。一番の思い出は「スクーター競技会」で一位を獲ってしまったことでしょうか(笑)。なんか異常に速かった記憶があります。