ツレズレ日記

(4月)

BACKUP |NEXT

2011 4月7日  THU

「徘徊野郎ジョン&パンチ」再び@RST。震災後の先行き不安な状態で、また失業してしまいました(汗)。何でこうなるんだか・・・ほんとすべてにおいてタイミングが悪すぎます。また求職者となり、街を徘徊する羽目になりました。職安に行っても、ほとんど仕事がありません。震災後、大手の工場がいまだに「自宅待機」で稼動していない状態。世の中が回っていないんですよね。だから仕事がない。震災後のこの停滞は「リーマンショックよりヒドイ」と一部で言われています。またしばらく、どうにもならない状態が続きそうです。今日は天気が良かったので、CB‐Fで今年初乗りをしました。バイク乗ってる場合じゃないんですけどね(汗)家に引き篭もるのも気がめいるので。奥州市のクレイジーさんに行きましたが、接客中の邪魔したくなかったので退散。赤男爵で最新のバイクと中古バイクを見ながら目の保養(爆)。中古のCB‐FのFCがあったのですが、同系列の純正パーツを組み合わせた車両で、ツッコミどころ満載(笑)。ノーマル信仰な私としては、これをFCだと思われるのは残念。前オーナー、よっぽどセンス悪いよ(爆)。最近、中古車のCB-Fで純粋なFA、FB、FCに出会うことが無くなりました。パーツ寄せ集めてノーマル車両に仕立て上げちゃってる「CB‐F」が多いです!お気を付けを!・・・以上、ノーマルCB-F派の能書きでした(爆)。赤男爵を出て、RSTさんへ向います。RSTさんでダベッたあとバイクに乗ろうとしたんですが、なんとここで立ちゴケ!・・・RSTさんが後ろで抑えてくれてたので、何とかステップが接地するくらいで踏み止まりました(大汗)。よろけたのが原因ですが、ナニがショックって、支えた左足がCB‐Fの重さに耐えられなかった事(涙)。こんな事今までなかったのに、完全に衰えた自分を見たようで凹みます。そう言えば昨日で42になったんだっけ?やべェ、このままじゃCB-F乗る資格ないかも〜(汗)。とりあえず、初心に戻ってCB-Fの「引き回し」で足腰鍛えようと思います(爆)。

2011 4月8日  FRI

自分震度また更新@無法地帯4号線。就寝中でした。少し大きい余震かと思ったら、揺れが止まらない。終息しない揺れと、徐々に大きくなってくる部屋のキシミ音で、ただ事ではないことを察知。激しい揺れの中、一階に降りて食器棚を押さえましたが、グラスとコップが床に落ち割れて散乱。揺れは最高潮・・・もうダメかと思いました。大げさじゃなく、家ごとシェイクされている感じ。そしてまた停電、加えて水道も使えません。ラジオを引っ張り出し、IBC放送に耳を傾けます。北上市は震度五強。岩手、青森、秋田で停電。高速道路は通行止め、東北本線、新幹線もストップ。3/11と同じ状況。東日本大震災の余震と言ってるけど、こっちが本震じゃね〜の?と思うくらい。その証拠に、今まで幾多の大地震にもビクともしなかったCB‐Fが、ガレージで倒れていました。TZRに寄りかかった状態で、ガソリンだだ漏れ。寝起きのパニクッた体で300キロ近い図体を起こすのは大変でした(汗)。CB‐Fのセンタースタンドを解除する位の揺れってどうなのさ(大汗)マジ勘弁して欲しい。思い出したのが岩手・宮城内陸地震の、一ヵ月後くらいに岩手沿岸北部地震がありましたよね。大きな地震の後の一ヶ月後って、気を付けなきゃいけないと思いました。そんな事考えてたら、なかなか落ち着かず寝付けません(汗)。それに、もうないだろうと思っていた真っ暗闇です。早く朝が来ないかと思いました。朝起きて気付いた事が・・・車がガレージに閉じ込められました(爆)。停電で電動シャッターが開きません・・・停電最悪。夜に電気も復旧して通常の生活リズムに戻りましたが、明日からまた「ガソリン狂騒曲」が始まりそうです。こうゆう違う意味での「二次災害」ってめんどくさいですね(笑)。出歩かないで、おとなしく部屋の掃除でもしてます〜。

2011 4月11日  MON

震災から一ヶ月@釜石自動車学校。本日、釜石の友人で原付運動会仲間でもあるM田さんに、少量ですが食料と「カブ中パーカー」を届ける事が出来ました。今、被災地では避難所で生活している住民へ優先に物資を提供していて、自宅避難の方にはかなり不公平な物資の供給をしていると以前より聞いていまして、何とかしてあげたいと思っていました。今回、私のほかにRSTさんとcrf100さん、三人で協力して食料を集め届けてきました。大変喜んでいただいてこちらも嬉しいです。M田さん夫妻から震災発生時の状況や、津波が自宅の20メートル手前まで来ていた話、震災後の避難所での生活、物資が各避難所へ行き届いていない事への不満、行政の混乱、釜石市の将来への不安等、TVニュースやラジオでは報道しない貴重な話をたくさん聞いてきました。M田さんは避難所で炊き出しのボランティアをしています。毎日避難所の方達に料理を作っていて、頭が下がります。明日からはぜひ、「カブ中パーカー」を着て炊き出しに活躍して欲しいと思います(笑)。M田さん、奥様に私の紹介をしてくれたのですが、「ほら!カブで変な走り方してるヤツいたじゃん!」と言われたのはウケました(爆)。釜石へは県道35号線「笛吹き峠越え」で向ったのですが、鵜住居町の鵜住居川を超えたところから、突然景色が一変して驚愕しました。自分の中で心の準備はしていましたが、津波の被害がこれほどの惨状になるのかと言葉が出ません。破壊・・・破壊・・・の景色が延々と広がり、津波がすべて剥ぎ取ったかのような瓦礫以外何もない風景に自衛隊、消防隊員と瓦礫撤去の作業員が一生懸命働いていました。山田町、大槌、釜石と国道45号線を走りましたが、去年までツーリングで走って見ていた街の風景が、押しつぶし、踏みつけられ、吹き飛ばされたかのような景観に代わっています。大津波を起こし、破壊の限りを尽くした海は、今は穏やかに佇んでいるのが信じられません。そして、私が一番気に掛けていた場所「釜石自動車学校」へ向います。釜石山田道路から45号線への合流が、ちょうど釜石自動車学校への入り口となるのですが、そこに見えたのは何もない平地と、ゴルフ練習場のポールだけでした。教習コースは汚泥で埋まり、所々白線が見えます。校舎は破壊され基礎しか残ってません。すぐそばを釜石線の線路があったはずですが、すべて削り取られています。津波の破壊力にただ溜息しか出ません。辺りを探してみたのですが、実は教習で使っていたバイクや車がどこに行ってしまったのか、まだ発見されていないそうです・・・。釜石自動車学校での思い出が、進行形ではなく「過去形」になってしまったのが寂しいし、残念です。東北で唯一の「二輪ジムカーナ」の火が消えてしまいました。第一回大会から継続して参加していた方は、もっと寂しい思いをしていると思います。まさか自然災害で「釜石二輪ジムカーナ」が終焉するとは思いませんでした。この大震災の爪跡を被災地に来て見て回り、校舎のロビーだった場所で自分の出来る事を何か考えてみました。ダメだ思いつかない・・・目の前に広がる景色に比べたら、自分の善意や行動はあまりに無力です。私のような内陸の人間が、復興だ、チャリティーだと軽々しく口に出来ないと思いました。これからも継続して釜石や他の被災地に行こうと思います。そして被災地で「自分の出来る事」を模索して行こうと思いました。

2011 4月16日  SAT

一人ガレージセール?@地震で部品散乱。今日は朝方暖かいと思ったら、急に寒くなって寒暖の差が激しい一日でした。雷が鳴ったと思ったら、雷雨になっておまけに余震も来やがります(汗)。緊急地震速報のチャイムが怖い今日この頃。自然の意地悪はもう勘弁して欲しいです(涙)。大きな本震と余震で、ガレージの奥の隠していたパーツ類が表に出てきちゃいました(爆)。CB‐FとTZRのパーツが主なのですが、なぜかゼファーのパーツも持ってます(汗)。で、一つ一つパーツを発掘してガレージに並べてみます。破損したパーツとか要らない物とか出てきちゃうんですが、折れたステップAssyを見つけると「あ〜確かジム練習でへし折ったんだっけ」とか、エフのウインカー類を見付けると「坂道レムニーの練習で立ちゴケして壊したんだよな〜」とか、SRX250に使おうと思って、デ○トナ「ターボフィルター」買ったのに、付けない方が速くて未開封になってたり?いろいろ思い出にふけっちゃって全然片付けが進みません(汗)まるで「週間プロレス」を片付けた時のよう(爆)。軽く6〜7年前のオイル類とか使い残しが結構あって、劣化してるかも知れないけど、密閉してるし、もったいないのでカブに使っちゃいます(汗)。ガレージに部品並べてたら「一人ガレージセール」しているみたい(笑)。エフのリヤショックがゴロゴロ出てきたのは自分でも驚きました(汗)FB用が2セット、FC用が1セットあります。FB用の2セットは抜けちゃって使い物にならず、将来リビルドしてもらいます。FCショックは、今付いているショックがアウトになった時の緊急用です。ドノーマル派としては純正部品に拘ります(笑)。社外サス?そんなの付けてるエフはCB‐Fじゃないもの(爆)。ガレージに広げた部品を整理整頓したら少しは広くなるかと思いましたが、まったく無駄な努力でした(笑)そして結構重労働(汗)。ガレージに上手く収まった部品たちが、また表に出てくるような大きな余震が来ない事を祈るばかり。そしてバイク好きに「断捨離」の教えは通用しないと確信しました(爆)。

2011 4月17日  SUN

ふぉ〜てぃ〜ずミーティング?@RST。「旅に出ます」といってMr.Oサマ、被災地より突然の北上市奇襲(爆)。少しやつれたようですが、元気そうで何よりです。私の家までの道順は、迷わず覚えてくれていたようで安心しました(笑)。私の部屋で被災地の状況を話していただき、手土産に「CHANGE」という企業機関紙も見せてくれました。「釜石ジムカーナ大特集」と書かれた表紙は機関紙というより丸々一冊「釜石ジムカーナ本」という内容。この素晴らしい編集をしたのがMr.Oサマだなんて信じられません(笑)。しかも使ってる写真、ほとんど私の画像でないの?(爆)。釜石自動車学校が消滅した今、この冊子は貴重な資料となることでしょう。しばらくダベッた後、「昼飯おごってください」とくわさんに電話(爆)くわさんアパートにミーティング場所を移動します。三人で釜石ジム話で盛り上がりますがMr.Oサマ電池切れな模様。「くわさん!飯食わせないとマズイっす!」と奥州市内のファミレスで豪華な昼食を堪能。散々食っておいて、くわさんに会計を任せ涼しい顔で店を出るサト&Mr.O(爆)。車に戻ったら「運転させて!」とMr.Oサマの運転席を横取りするくわさん。運転席と助手席に居る二人を見て「お!これがトミンに行く気で桶川に走った?伝説のくわ&Mr.Oか!」と後部座席で感動する私(爆)。くわさん四号線には戻らず、なぜか胆沢経由でドライブを楽しみつつ、アパートに帰ります。アパートに到着後、crf100さんが合流。指導員同士のマニアックな会話が炸裂します(爆)。くわさんのデジカメに入っている「不思議な写真」を見て、全員チョットだけ背筋が凍る(怖)。その後、四人でRSTに移動。RSTさんを交え五人でふぉ〜てぃ〜ずミーティング?開催です。Mr.Oサマ、被災地で動けるバイクを探しているようで、私、crf100さん、くわさん、RSTさん四人ともが「カブ乗り」であるのが気に掛かるらしく、カブ購入して仲間に入りたい模様です(笑)。四人でカブの経済性を語っているにも拘らず?悩み続けるMr.Oサマに「悩む事ないって!カブは(俺たちの)法律だ!」と名言を吐くcrf100さん(爆)。外が暗くなるまでおしゃべりは続き、Mr.Oサマの帰り時間となりました。RSTの道順がわからないというので、crf100さんとくわさんで解かり易い道順を教えたにも拘らず「これ四号線ですか?」と発したMr.Oサマに、「ほんとに道、覚えね〜な!」とプチ切れ?桶川事件を掘り起こすくわさん!いや〜さすが名コンビだわ(爆)。くわさん、crf100さんと別れ二人きりでの帰り道、生活の光が溢れる景色を見て「内陸は普通の生活があっていいですね」とポツリと語ったMr.Oサマ。沿岸の国道は瓦礫だらけの絶望的な光景・・・その辛い世界にまた帰らなければいけません。・・・今日は少しだけだけど、Mr.Oサマを元気付ける事が出来ました。「一人じゃない、みんながいる」って事を忘れないで欲しいしです。Mr.Oサマ、気がめいったらまた内陸に遊びに来てください。「気さくなふぉ〜てぃ〜ず」はいつでも歓迎しますよ(笑)。

2011 4月25日  MON

カブ支援部隊?@釜石某避難所。本日二回目の支援に行ってきました。観光目的で被災地に来る馬鹿な輩が多くなり、そのお陰で被災地の国道は大渋滞。救助活動や、瓦礫撤去の妨げになるため大きな問題になっています。支援目的なら構わないですが、興味本位で被災地に行くのはやめて欲しいです。そんな事情で、私も車で被災地に入る事はやめ、カブによる支援物資の搬入を試みました(汗)。とは言うものの?とても一台で運びきれる量ではないので、RSTさん、crf100さんを巻き込み(?)三台で「カブ支援部隊」を結成しました(笑)。ハイエースに支援物資とカブ三台を詰め込み、鵜住居地区まで移動。そこでカブを下ろし支援物資を積んで釜石に入ります。crf100さんとRSTさんはツナギを着て「何なら瓦礫撤去もしまっせ!」という意気込みな格好なのですが、私はいつものツーリング仕様で来てしまい?空気読まない自分に感じ悪かったです(汗)。県道35号線から国道45号線で釜石市内に入ります。まずはM田さん夫妻と猫のアール君にご挨拶(笑)。その後、M田さんが炊き出しをしている避難所のボランティアグループに食料を持って行きました。一回分の炊き出しくらいの食料ですが、ウチら三人で出来る事はこれが精一杯。でもM田さんはじめ、ボランティアの方たちに喜んでもらって私達も嬉しいです。地元ボランティアの方達がとても「いい表情」をしているので、逆にこちらが励まされた感じがします(笑)。M田さんから炊き出しボランティアの苦労話なんか聞いていた横で、RSTさんがボランティアの女性をナンパしてました(爆)。も〜!苦労を労いつつ粛々と帰りたかったのに、このカブ中年やってくれます(笑)。あまりに盛り上がってるので「アドレス交換でもしたら?」とキレ気味に釘刺してやりました(爆)。これ以上居るとRSTさんが暴走しそうなので?、M田さんとボランティアの方達に挨拶して避難所を出発。M田さんが写真撮ってくれましたが完全に「カブ中年一号、二号、V3」という感じ・・・あ、V3は私ですけど(爆)。45号線を北上し山田町のMr.O宅に向います。支援物資としてcrf100さんのカブをMr.Oに提供する為です。お〜宅に着きましたら、雲行きが怪しくなり雷がゴロゴロ鳴り出します。と思ったら土砂降り(汗)。私の中の「雨王」がまた覚醒したのかと思いましたが?前回来た時も、実は雷と雨に見舞われてます。どうやら私とMr.Oが一緒になると、天気が怪しくなる模様(爆)。部屋でBG誌を広げつつ中古車を物色?「カブに乗るのはまだ早い」とcrf100さんの気持ちをまったく汲まないMr.O(爆)。土砂降りの雨でしたが、しばらく経つと晴れ間が見えてきました。「もうチョット居て下さいよ〜」という言葉を無視して?お〜宅を出発(笑)。RSTさんの90ccにcrf100さんが二ケツで走り出します。帰りは寒かったのでバトル状態で45号線を南下。鵜住居地区に戻り内陸に帰ってきました。被災地に行くと思うのですが、テレビニュースは「当たり触りのない事」しか伝えてません。被災地に行って話を聞くと、現状はもっと厳しい事に気付かされます。私は「気持ち」で被災地に行っておりますが、そんな私を評して「偽善者」と言ってくれた方が居ました。私は「バイクに乗ること」しか脳がない、地位も名誉も仕事も持たない社会的に「底辺」に居る人間です。だからそんな事を言われても、な〜んとも思いません(爆)。「何もしない奴」には、言わせておけばいい。私は「ありがとう」という言葉のために頑張り続けます。